落語と着物の関係・・・

こんにちは。舞歌です。

今日は着物と落語について。

私は常々、着物がどれほど落語に影響するのだろう、と気になっていました。

最初、落語のハウツーを何にも知らない頃、落語教室の発表会では意識的に紬を着ていました。

というのは、落語=庶民の芸能=高価な着物は似合わない と思っていたからです。

また、カッコいいな!と思ってた志ん朝師匠のCDジャケットも紬風。
どうやら、これは、お召しだったようです。

その後、私は人から、落語を人前でやる際にお客様に対してフォーマルな装いをする。すなわち、染めの着物を着ると聞きました。

これは、お客様に対して失礼がないように、なのか?はたまた、所作を綺麗に見せるためにゴワゴワした着物(紬)を着ないという理由なのかは私走りません。

しかし、そういう、しきたり的な事は趣味として「落語ごっこ」をする立場として、あわせていくからこそ、「ごっこ」である、とも言えるし、また、プロじゃないんだから、趣味なんだから、ある程度自分の思うようにやっても、いいんじゃね?という気持ちもあります。

結論として、私は、町の小さな会議室や集会所でする場合は、紬を来て出ることが多いです。
舞台に照明があたるような会場では、染めの着物を着ています。
しきたりよりも、TPOにあわせているといった次第です。

いい大島とかは、テロんとしていて、全くゴワゴワなんかしてない。所作の妨げになるとは到底思えない。
ま、紬も着たいから、というのが大きいかもしれません。

この事と、もう一つ、男着物を着るか、女着物を着るか、というのがあります。

プロで前座の女性は、男着物を着ています。

正直、私は違和感があります。女着物でいいんじゃないでしょうか?女なんだから。
地味な女着物もありますし。。。汚れるから?お金がない時期だから??でも、ほぼ全員、男着物です。。

おそらく、私が思うに、女着物だと、前座いわゆる下働きを男社会でさせずらい、のではないでしょうか。
男気のある男性ほど、女性を女として扱ってくれます。
ということは、女着物を着ている「ザ、女性」に、座布団を変えさせたりといった下働きをさせるところをお客様に見せたくないのではないでしょうか。男社会すぎるから。
だから、いつまでも、男着物を着させて、女を消させて前座仕事をさせるんじゃないでしょうか。

男女平等とするなら、地味目の女着物で、きっちり前座の仕事もしたらよいと私は思うのです。

これ、江戸だけなのかな~?

さて、今日書きたいことは、このことではありません。
ま、プロがどうするとか私が口出しできることではないので、私は感想として、「女着物でいいのにな。」と思うにとどめておきます。

で、落語をするとき、女が男着物で出るか、女着物ででるか?ですが。。。

似合っていれば、私はどっちでもいいと思います。でも、男性着物が似合う女性は少ないと思っています。

そして、落語に女性が出てくる話、特に色っぽい廓の女性とかが出てくる場合、女着物で出るべし、に1票いれます。

というのは、女が男着物で落語して、その中で女になると、混乱するんです。あれ?なんでこの花魁、男着物着てるの??と。。。

性別の2重変換はややこしい。だから、「女っぽい女性が登場しない落語に限って、女が男着物を着ても、着なくてもどっちでもいい。」に1票です。

で、先日。。。

香川の「春日家みっちさん」が、文七元結 を、女着物でなさいました。

すばらしかったです。私も実はやりたいと思った話でした。しかし、関西出身の私は、江戸っ子の男のバリエーションが難しいことが、先日の「紺屋高尾」でわかったので、江戸落語には、もう手を出すまい、と思っていたのです。

しかし、そんな私の気持ちをふっとばすくらい、文七元結に出てくる左官の父親が、奉公先の主人が、文七が、、、いろんなタイプの男でした。
男としか思わず、最後まで話の中に惹き付けました。凄かったです。

このとき、みっちさんの女着物を見ていない自分に気がつきました。

人情噺なので、感情が観客を惹きつけていく、それがほぼすべて。
その感情を必死で読み取り、自分の中で納得して、噺についていく作業で見ているのは、「目」「口元」そして、概要として「顔」。
その他、体や所作は、ピントが合ったレンズの周りにぼけているくらい、その話に違和感がなければ、想像で補っていた。

女着物とか男着物とかじゃなくて、着物を着てる男がそこにいました。

「バクチで身包み剥がされて仕方なく女着物を着ている恥ずかしい父親」という男も、そう見えました。

リアルには、きちんと名古屋帯を締めた女性が高座上に居るのですが、高座を降りるまで、それは目に入って入らないものでしかなかった。

と、言うことで。。。

私はこの体験を持って、いままでどうも「落語の話にあわせた着物を着て出てても、お客様はさっぱり覚えていない。」と感じていたことが腑に落ちたし、落語の中の登場人物をしっかり目で、口で、感情で表現できれば、どんな着物で出たって大丈夫なんだ、と思った。

ウケたり感動させれたりしていない時、着物のせいにしてるのは、演じる力が弱いだけ。

今後は、違和感のありすぎる着物は着ないとしても、あまり堅苦しく考えず、着たい着物をやっぱり着よう(ま、いままでもそういう傾向ではあったが)と、思っています。
今まではね、柄の着物を着るのでさえ、多少罪悪感を持って着ていたのですよ。。。

ちょっと注意しないといけないのは、かわいらしい着物でバッチシ決まったんちゃう?と思っているときは、自我が強くなりすぎて、着物を見てみて~という気持ちが強くなりすぎて、落語のなかに入れなくなる可能性が高まるということ。

それは注意しないといけません。。。

だから、出囃子が鳴ったら、着物のことなんか忘れて、着物なんか着てないくらいの勢いで出ていかなあきませんな!!



ん?いや、着物着ずに高座に平常心で座れたら、それはそれでアカン気するけど。。












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プロフィール

千壱夜舞歌(せんいちやまいか)

Author:千壱夜舞歌(せんいちやまいか)
神奈川在住。大阪府豊中市出身。
落語仲間とお稽古し発表。
過去は
※2008~2011年「桂文雀師匠」に師事。
※2013~2014年「古今亭菊千代師匠」に師事。

◆米朝師匠の名言
<その1>
噺家になったのは好きやからということもありますが、一人でやる芸で、衣装も大道具もメーキャップもなしで、それでいてドラマのような世界が描ける、それに魅力を感じたからです。
私の描いた世界と、受け手の世界が一致する。そのときは冥利を感じます。

<その2>
「あんたには、それが見えてなはんのか?あんたに見えてないもんは、お客さんにも見えませんのやで。」

◆自分から自分へ
まともな人間として一生懸命アホな噺をやろうとおもたらいけません。
アホな人間が一生懸命まともな噺をしようと思うくらいでないと、おもろくありません。
(まじめか!)

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